Holmenkollbakken

( ホルメンコーレンジャンプ競技場 )

ホルメンコーレンジャンプ競技場(Holmenkollbakken)はノルウェー、オスロ郊外のホルメンコーレン地区に位置するラージヒル(K120m/HS134m)のジャンプ競技場である。隣接してクロスカントリースキーコース、ノーマルヒル(K95m/HS106m)などがあり、ノルディックスキーの発祥地であるノルウェーにおける代表的な競技場であることから、ノルディックスキーの聖地とも称される場所である。

ジャンプ台は現在までに19回改築され、前回1982年の改修で観客席の収容人数は50000人以上に増やされた。2008年夏から、2011年の世界選手権に向けて19回目の改築工事が行われ2010年3月に完成した。 現在のスタートタワーは、地面から60メートルの高さにそびえ海抜417メートルになる。バッケンレコードは2011年3月5日にオーストリアのアンドレアス・コフラーが記録した141.0m(2011年3月15日現在)。 毎年100万人以上の観光客がジャンプ台とスキーミュージアムを訪れる。スタートタワーの頂上からはオスロ市内及びオスロ・フィヨルドを一望できる。

最初のジャンプ台  1904年、踏切台が石積みに改造されたホルメンコーレンジャンプ競技場

ホルメンコーレンスキー大会の前身は現在より町の中心地に近いUllernのHusebyで1879年から1891年の間行われていたHusebyrennetである[1]。 1887年にホルメンコーレンへの道が開かれたが、当時この一帯は住宅地ではなくレクリエーションの時に使用されるだけであった。I. C. L. Holmはこの地のレクリエーションセンターとしての潜在能力を見抜いて開発を決意、1886年にPeisestuenを設立、1891年にはHolmenkollen Sportsstue、1894年にはHolmenkollen Sanatorium(現在のHolmenkollen Park Hotel Rica)、1900年にはVoksenkollen Sanatoriumが次々と開設された[2]。 1890年のHusebyrennetは雪不足のため中止となり、代わりにFrognerseterenのUllbakkenで大会が行われた。街から遠いために大会は日曜日に行われたが、このことに批判があったためその代償として入場料を徴収しないことを決めた。 翌1891年、Husebybakkenで最後の大会が行われた[3]。 1891年のシーズン後、Husebybakkenの土地所有者とリースの交渉をする必要があった。Husebyでは雪不足が何度かあり、Fritz HuitfeldtとHans KragはBesserudに新しいジャンプ台の建設を提案した。ノルウェースキー振興協会は半年後に会場の移転を承認した[3]。 Besserudの丘の麓に作られた小さな池はホテルへ十分な水の供給を生み出した。この池は冬の間氷で覆われる[4]。 建設は簡単であった。木を数本伐採し、雪が降ると枝を払った[5]。

ホルメンコーレンでの最初のジャンプ競技は1892年1月30日に行われた。 Arne Ustvedtがおよそ12,000人ないし15,000人の観衆[6]が見守る中21.5メートルの最長不倒距離を記録した[7][8]。なお、このジャンプはノルディック複合の前半ジャンプで、Svein Sollid(テレマーク地方のMorgedal出身)がホルメンコーレン大会初代チャンピオンとなった。以降もホルメンコーレン大会ではノルディック複合のみが行われ、純ジャンプ競技が行われたのは1933年が最初である。歴代優勝者はホルメンコーレン大会におけるスキージャンプ競技を参照。

最初のジャンプ台は踏切台の直後に塚があり、これが落下するような感覚を与えて、着地を難しいものにした。 そこで、ジャンパーがより安全に着地できるようにプロフィールをわずかに変更することが決められた。とはいうものの当時は標準プロフィールというものは存在しなかったので、ノルウェースキー振興協会は、より良いプロフィールを作成するために試行錯誤した。新しいプロフィールのジャンプ台は1894年から使用され、改良工事には2000ノルウェークローネが投じられた。 初期のジャンプ台は踏切台を毎年作り直していたので、位置が毎年変わった。1904年に踏切台が石積みで築かれ、固定された。 1907年のシーズン前にランディングバーンが25m地点から僅かに掘り下げられ、より着地が容易になった。 1910年に踏切台は位置を変え、高さ2mの石積みに作り変えられた[5]。 固い氷の層で池を保つために、雪が降ったら取り除かれた。 氷が十分に厚くないとイヴェントの最中に観客席に問題が生じるからである[4]。 1913年から池はホテルのサービスの一環としてスケートリンクとして開放された[9]。しかしこれは成功せず、数年で廃止された[10]。

 1914年、インランのタワー化後のホルメンコーレンジャンプ競技場(1917年撮影)

1910年代には当時アメリカで一般的になっていた足場構造でインランが構築されたが、ノルウェーのマスコミには酷評された。1914年のシーズン前、高さ10mの鉄製足場のインランが構築された[5]。これはマスコミから大きく非難された。自然の丘でジャンプ競技を行うのが世論であった。しかし同年、NydalsbakkenとSolbergbakkenの2か所のノルウェーを代表するジャンプ台が同様の構造を取り入れた。1914年1月15日に新しいジャンプ台で試技が行われ、34mを記録した。これは当時の世界最長記録であった[11]。ジャンプ台はその後も数回改修された。プロフィールを改善するため掘削を行い、ランディングバーンに播種して斜面を保護した[12]。 1923年ホルメンコーレンスキーミュージアムがタワーの下に開設された。これは世界最古のスキーに関する博物館である。第二次世界大戦後から1980年代中ごろまでヤコブ・ヴァーゲが館長を勤めた。

ノルウェー皇太子のオーラヴ5世は1922年と1923年にホルメンコーレンジャンプ大会に参加した。

オリンピックジャンプ台

1927年、試合後に積雪荷重によりインランの構造物が倒壊した。これにより、ノルウェーにおいて観客席・インラン構造物の公的制限が導入されることとなった。この時、世界記録は60mを超えており、ホルメンコーレンはこれに遅れをとっていた。そこで高さ19mの構造物が従来より踏切を9m後退した場所に建設された[12]。

 1927年に倒壊した後再建されたホルメンコーレンジャンプ競技場(1929年撮影)

1928年にBesserud池は一部排水されたが、この池を水源としていたホテルは翌年排水を許可しなかった[13]。1931年、池は完全に排水され、アウトランが延長された[12]。1930年代、NordmarkaのRødkleivaに80m飛べるジャンプ台を建設する構想が持ち上がり、ノルウェースキー振興協会はこの件に関し1937年に正式な調査を行った[14]。ホルメンコーレンが国際大会の開催には小さすぎるものになったというのが一致した意見であった[15]。

1940年ノルディックスキー世界選手権のオスロ開催を控えて、ノルウェースキー振興協会はより大きなインランの建設を決定した。1938年に高さ40mのスタートタワー建設が開始された。従来より12m後方に移動し踏切の高さも6m高くなったスタートタワーは1940年に完成したが、世界選手権は第二次世界大戦のため中止となった。ドイツによるノルウェー占領のため5年間にわたり大会は中止、ジャンプ台は対空砲台として徴用されインランは緑色に塗装された。1945年、ジャンプ台は改修され、新しいインランと巨大な観客席が整備された[15]。

 オスロオリンピック開催直前のホルメンコーレンジャンプ競技場(1952年撮影)

1948年、オスロは1952年の冬季オリンピックを開催することとなり、ジャンプ台は大きく進歩した。これまで観客席は仮設のものであったが、オリンピックを控えて常設のものになった[16]。新しい観客席は、ジャッジタワー、ロイヤルボックス、放送ブースを備えたものであった[15]。スタートタワーも再建された。木製の構造に外壁を設けて白く塗装し、エレベーターも設置された[17]。またジャンプ台を拡張するために着地斜面を構造物で立ち上げて延長した。立ち上げられた構造物は3階建てで、1階と2階にはスキー博物館、3階にはレストランが入居した[16]。アウトランの池は6m掘り下げられ、夏の間は3mの水深と10℃の水温を持つ水泳プールとして活用された[18]。これらの整備に対しオスロ市は1500万ノルウェークローネの費用を投じた[17]。この整備により市民のレクレーションの場が提供されることとなった。 この改築のデザインは建築家のフローデ・リナンが行った[19]。

オスロ市は1968年の冬季オリンピック誘致に名乗りを上げたが、これは失敗に終わった[20]。

1966年ノルディックスキー世界選手権の開催決定を受け、国際スキー連盟の要求を満たすアップグレードの詳細が明らかになった。 より長いジャンプを可能とするため踏切の位置を10m後方に移動し、池をより深く掘り下げ、両脇の観客席をコンクリート製に造り替えることとした。合わせて従来より高く改築されたスタートタワーはスタートとアウトランに56mの高低差を生み出し、助走路の長さを任意に調整できるようになった。 この世界選手権では得点計算に初めてコンピューターが導入されたが、連絡・情報伝達にはオリンピック当時と同様有線電話が用いられ、公式発表とスコアボードシステムは手動のままだった[17]。

 夏のホルメンコーレンジャンプ台(1975年撮影)

1971年までにノルウェースキー振興協会はホルメンコーレンスキー大会からの収入の割合は小さくなっていた。振興協会はスキーコンプレックスの建設について議論を始め、Rolf Ramm Østgaardは大小のジャンプ台を併設する計画を提案した。 スキージャンプとクロスカントリースキーの密接な関係を考慮してホルメンコーレンにジャンプ台を維持することで一致した。 しかしホルメンコーレンのジャンプ台は上部が地面から高く立ち上がった構造物であるため風に悩まされていた。フィンランド、ラハティのSalpausselkäの経験はジャンプを丘に組み込むことによって風に対抗できることを示したが、すぐに可能な解決策は見つからず、古い構造は維持された[17]。 1977年に夜間照明が整備され、夜にはオスロ市内からもその明りを見ることが出来た。1978年には問題のあったエレベーターが交換された[21]。また、この頃池の中にステージが建設され、演劇やコンサートなどが上演された[22]。

オスロ市議会は1980年冬季オリンピックの誘致を検討したが、それは適当な投資ではないと結論した[20]。

1979年、オスロ市は1982年ノルディックスキー世界選手権を開催することとなったが、ジャンプ台は改修が必要であった。改修に必要な5000万ノルウェークローネのうち、ノルウェースキー連盟が500万クローネ、残りをオスロ市と県が負担することになり[21]、巨額の公費支出は論議を巻き起こした[23]。 今回の改修では各会場に電子機器の導入が行われた。ランディングバーンの横に飛距離測定員が立って手動で測定する従来の方法に代えてRobotronのビデオ測定システムが導入された。その他中央電算記録集計システム、電子スコアボードシステム、電気式速度・時間測定システムなどが新たに整備された[21]。インランには可動式スタートゲートが設置されたが、これは後にシットバー式のゲートに交換された。ランディングバーンも改修され、直線部分が10m下方に移動された。アウトラン部分では13万立方メートルに及ぶ掘削が行われ、Besserud池は7mの水深となった。観客席も改修され残っていた木造部分もコンクリートで再建された。

Robotronのビデオ測定システムは信頼性が低く、1986年に取り外された[24]。1990年にインランに磁器製のレールが敷設された[25]。また、アウトランにはアルミニウム製のステージが設置され、夏季にはコンサートで使用された[22]。1992年にはアウトランが更に3.5m掘り下げられ、K点が105mから110mに延長された。また、1992年から飛距離測定にビデオ計測システムが導入された[25]。1991年に、ジャンプ台を改修する決定に引き続いてKollenhoppが設立された。 ノルウェー東部のスキークラブの協力により、ホルメンコーレンジャンプ競技場でのジャンプ競技が創出された。Trønderhoppの成功と同様である[26]。1992年から移動照明装置が整備され、夜間に試合を設定したり、風の状況が良くなる夜間まで試合を延期することが可能になった[21]。

 ホルメンコーレンジャンプ競技場(2006年撮影)

2005年6月に行われた「オスロ市の20世紀を代表する建築」の投票でホルメンコーレンジャンプ競技場は12.8パーセントの得票でオスロ市役所についで4位に選ばれた。

新しいジャンプ台

2002年、ノルウェースキー振興協会とオスロ市は2009年ノルディックスキー世界選手権の誘致活動を開始した[27]。 オスロ市議会は同大会の会場となるホルメンコーレン競技場の改築整備に5,280万ノルウェークローネを投じる決定をした[28]。

2004年6月4日に国際スキー連盟(FIS)総会(於アメリカ合衆国、フロリダ州マイアミ)で投票が行われ、リベレツ(チェコ)11票、オスロ(ノルウェー)4票の大差で決定、 誘致に失敗したノルウェースキー連盟はすぐに2011年大会の誘致に乗り出した[29]。 ノルウェースキー振興協会はヴィケルスンのフライング台拡張の代わりにホルメンコーレンの北側、オスロウインターパークそばにあるRødkleivaにジャンプ台を新設する希望を出した。 ホルメンコーレンジャンプ競技場は2011年の世界選手権までラージヒルとして使用し、その後はノーマルヒルに改修することとした[30]。 2005年5月、ノルウェースキー連盟の総会で、2011年の世界選手権までにRødkleivaに新しいフライング台とノーマルヒルの台を建設することが評決された[31]。 続いて、2008年に開催が決定されるヴィケルスンで行われる予定の2012年スキーフライング世界選手権について、ノルウェースキー連盟の総会でRødkleivaの計画を2008年までに決定すると決めた[32]。

改修前のホルメンコーレンジャンプ競技場はK点115m・HS128mとスキージャンプ・ワールドカップで使用されるジャンプ台の中では小規模な部類であり、 2005年9月22日、国際スキー連盟(FIS)はオスロが世界選手権とワールドカップ開催するならホルメンコーレンジャンプ競技場の改築が必要であることを明言した。ドイツ、オーベルストドルフのシャッテンベルクシャンツェやオーストリア、インスブルックのベルクイーゼルシャンツェも同様に改築された[33]。 多額の資金を要するジャンプ台改築に当たっては、現在のジャンプ台を解体し、同じ場所にノーマルヒルとラージヒルを建設する案、現在の歴史的記念碑であるジャンプ台をそのまま保存し新たに2つのジャンプ台を新設する案の2つが挙げられた。 2005年12月、ノルウェー文化遺産総局のニルス・マルスタイン局長はランドマーク性と建築としての品質を維持することを条件にスタート塔の解体を許可した[34]。保存にふさわしいのは構造体ではなく活動そのものであると述べた[35]。 ジャンプ台の改築には3億1000万ノルウェークローネかかると見積もられ、2006年2月、イェンス・ストルテンベルク首相とクリスティン・ハルヴォルセン財務大臣はノルウェー政府が7000万クローネを支出することを発表した[36]。 2006年3月、新しいホルメンコーレンジャンプ競技場の設計案がオスロ市から公開されたが、建設費は4億5000万ノルウェークローネ(8200万USドル)に膨らんだ。 オスロ市は依然7000万ノルウェークローネのみを支出する計画であった。しかしオスロ市のPer Ditlev Simonsen市長とスキー連盟のRolf Nyhusはホルメンコーレン改築計画を進めた。 2006年3月23日に市議会選挙の公式ウェブサイト上で、ホルメンコーレンジャンプ競技場は2007年春に解体工事が開始され、改築されると報告された。

2006年5月25日、FISの第45回総会(ポルトガル、ヴィラモウラ)で投票が行われ、オスロでの2011年ノルディックスキー世界選手権開催が決定した[37]。 2007年4月25日のFISフラッシュニュースNo.124で、新ジャンプ台設計コンペに27カ国170の企業体が参加することが報告された。プロジェクトの予算は1億ノルウェークローネと推定される。 2007年6月25日にコンペが締め切られ、2007年9月、104件の案からデンマークのJDS/JULIEN DE SMEDT ARCHITECTSによる"Nye Holmenkollen Fyr"を選んだ[38]。この新しい国立競技場の建設費は6億5300万ノルウェークローネと見積もられた[28]。 新しいジャンプ台は人工冷却装置を備え、従来より傾斜の緩やかなインラン、ジャンパーのための新しいエレベーター、夜間照明設備、防風フェンス、新しい観客席、音響システム、スコアボードが整備される。また、すぐそばにHS106mのノーマルヒルMidstuenも新設される。

解体工事は2008年10月16日に始まり、同年12月に完了した[39]。改築工事中のスキージャンプ・ワールドカップはヴィケルスンで代替開催された。 オスロ市議会は2007年12月12日にこれを承認した[40] Approval by the Oslo City Council took place on 12 December 2007[40]。この時6億5300万ノルウェークローネと見積もられた予算は、2008年には1億2000万クローネ増加、2008年7月18日に詳細計画がオスロ市議会で承認された時には更に1億8000万クローネ増え、9億クローネを超えた。 コストの圧縮が検討され、ラージヒルの建設費に7億1500万クローネ、ノーマルヒルのミッツトゥンジャンプ競技場、クロスカントリースキースタジアム、インフラの整備を含めた総予算は24億2600万ノルウェークローネとなった[41]。 同年夏から2010年の完成を目指して工事が開始され、2008-2009シーズンのホルメンコーレンスキージャンプ大会は第2次世界大戦以来の中止となった。

^ Vaage & Kristensen 1992, p. 23 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 24 ^ a b Vaage & Kristensen 1992, p. 25 ^ a b Vaage & Kristensen 1992, p. 47 ^ a b c Vaage & Kristensen 1992, p. 31 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 27 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 28 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 29 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 49 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 50 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 35 ^ a b c Vaage & Kristensen 1992, p. 36 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 51 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 37 ^ a b c Vaage & Kristensen 1992, p. 38 ^ a b Vaage & Kristensen 1992, p. 120 ^ a b c d Vaage & Kristensen 1992, p. 39 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 52 ^ Henriksen, Petter, ed. (2007). "Holmenkollbakken". Store norske leksikon (ノルウェー語). Oslo: Kunnskapsforlaget. 2010年1月29日閲覧 ^ a b Oslo City Archives (2006年9月7日). “Oslos thtre OL-søknader” (ノルウェー語). 2011年3月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月1日閲覧。 ^ a b c d Vaage & Kristensen 1992, p. 42 ^ a b Vaage & Kristensen 1992, p. 53 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 43 ^ Vaage & Kristensen 1992, p. 44 ^ a b Vaage & Kristensen 1992, p. 45 ^ Thoresen 2007, p. 223 ^ Kirkebøen, Stein Erik (2002年10月9日). “Kommunen sier ja til Kollen-reprise”. Aftenposten: p. 33  ^ a b “Gratulerer, trøndere, Osloborgere betaler: Budsjettsprekk, stor bakke” (ノルウェー語). Vårt Land: p. 24. (2011年2月19日)  ^ Hole, Arne (2004年6月4日). “Kollen søker VM i 2011”. Aftenposten: p. 30  ^ Kirkebøen, Stein Erik (2005年1月14日). “Vil flytte Kollen-brølet” (ノルウェー語). Aftenposten. 2011年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月23日閲覧。 ^ “Skitinget valgte Rødkleiva” (ノルウェー語). NRK (2005年5月28日). 2011年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月23日閲覧。 ^ “Vikersund fortsatt nasjonalanlegg” (ノルウェー語). NRK (2008年6月7日). 2011年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月23日閲覧。 ^ “Holmenkollbakken gått ut på dato” (ノルウェー語). Drammens Tidende (2005年9月22日). 2011年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月3日閲覧。 ^ Skjellum, Hanne (2005年12月29日). “Full jubel for Kollen-riving” (ノルウェー語). Dagbladet. 2011年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月3日閲覧。 ^ Skjellum, Hanne (2005年12月29日). “Full jubel for Kollen-riving” (ノルウェー語). Dagbladet. 2011年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月3日閲覧。 ^ Gulseth, Hege Løvdal (2006年3月1日). “Uavklart om Holmenkoll-bakke” (ノルウェー語). Dagbladet. 2011年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月3日閲覧。 ^ “Kollen kan rives til VM” (ノルウェー語). Adresseavisen: p. 28. (2006年5月26日)  ^ “Her er nye Holmenkollen” (ノルウェー語). Teknisk Ukeblad (2007年9月4日). 2011年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月23日閲覧。 ^ “Kollen rives i det stille” (ノルウェー語). Norwegian News Agency. (2008年10月16日). p. 28  ^ a b Final decision on Holmenkollen ^ Hagesæter, Pål V. (2011年2月21日). “Prislapp for VM: 2,4 milliarder” (ノルウェー語). Aftenposten. 2011年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月23日閲覧。
写真提供者:
Wilhelm Joys Andersen from Oslo, Norway - CC BY-SA 2.0
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