Altes Museum

( 旧博物館 (ベルリン) )

旧博物館(きゅうはくぶつかん、アルテス・ムゼウム、独: Altes Museum)は、ドイツ、ベルリンのムゼウムスインゼル(博物館島)にある博物館。1966年に再建、修復されて以来、ベルリン国立博物館群のなかでもアンティーク・コレクション (Antikensammlung Berlin ) を専門として収蔵している。もともとはプロイセン王国の王室コレクションの収蔵と展示が目的で、建築家カルル・フリードリッヒ・シンケルの設計をもとに1823年から1830年にかけて新古典主義様式で建設された。1845年まで王立博物館 (Königliches Museum ) と呼ばれていた。新古典主義様式建造物で、シンケルの代表作とされている。1999年には博物館島のその他の歴史的建造物とともに、ユネスコの世界遺産に登録されている。

 1854年以前の旧博物館 1950年の旧博物館

旧博物館の構想を決める権限を持った、国王に任命された委員会は「価値ある芸術品」 ("high" art) のみをこの博物館で展示することを決定した。この結果、近東の民族誌関連、先史時代の遺物、発掘された宝物などは旧博物館ではなく、ベルリンのモンビジュー宮 (en:Monbijou Palace) に収蔵された。

1855年にシンケルの弟子の建築家フリードリヒ・アウグスト・シュテューラー (en:Friedrich August Stüler) によって新博物館が完成し、「芸術と科学の聖域」博物館島の構想は具体化し始めた。その後、1876年にヨハン・ハインリヒ・シュトラックが最終的に完成させた旧国立美術館 、1904年にシュテューラーが構想し、エルンスト・ フォン・イーネの設計によって完成したカイザー=フリードリヒ博物館(現在のボーデ博物館)、1930年にアルフレート・メッセル (en:Alfred Messel) とルードヴィヒ・ホフマンによるペルガモン博物館が完成し、現在の博物館島の姿となった[1]。

1894年から1905年にかけてベルリン大聖堂が改築され、ユリウス・カール・ラシュドルフの設計によってそれまでの新古典主義様式から新ルネサンス様式へと姿を変えた。以前よりもはるかに大規模に増改築されたベルリン大聖堂は、古典的様式で建築されている近隣の博物館との調和を完全に破壊してしまう結果となった。

ナチス政権下の第三帝国時代に旧博物館は、軍隊の閲兵場として改造されたルストガルテンとともに、政治的プロパガンダに使用された。そして第二次世界大戦終結直前に建物前に止められていたタンクローリーの爆発によって旧博物館は大破し、シンケルとペーター・コルネリウスが入口とポルチコの壁面に描いたフレスコ画はほぼ壊滅した[2]。

ベルリン美術館館長ルートヴィヒ・ユスティ (de:Ludwig Justi) のもと、甚大な被害を受けた博物館島の建物群の中で、旧博物館が最初に再建、修復を受ける博物館に選ばれた。ハンス・エリッヒ・ボガツキー (de:Hans Erich Bogatzky) とテオドール・ヴォッセンが、1951年から1966年にわたって旧博物館の再建を担当した。1982年にはシンケルのオリジナルのデザインに従ってロタンダの壁画も修復されている。しかしながら1階各展示室の天井装飾や円柱に渡されていた桁は再建されていない。また、以前は旧博物館と新博物館とを接続していた連絡橋も再建されていないが、2015年に計画されている博物館島の改修工事のときに、新しく全博物館を接続する地下通路の建設が予定されている[1]。

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写真提供者:
Jean-Pierre Dalbéra from Paris, France - CC BY 2.0
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