喀什市

( カシュガル市 )

カシュガル市(カシュガルし、ウイグル語: قەشقەر, ラテン文字転写: Qeshqer; ケシケル市、中国語: 喀什市, 拼音: Kāshíshì)は中華人民共和国新疆ウイグル自治区カシュガル地区に位置する県級市である。同地区の首府が設置される。

古代には疏勒国の国都であった。タリム盆地周辺には古くからトカラ語系の人々が住んでいた。疏勒国もそのひとつである。

匈奴が強盛の時代にはその間接支配を受けたが、中国が統一され、漢が西方に進出して西域都護府を設置すると、その勢力下に入った。

その後も中国の勢力が後退すると、柔然や突厥など北方民族の間接支配下に落ちたり、唐が安西都護府を設置すると、安西四鎮のひとつである疏勒都督府が置かれたりした。

疏勒はタリム盆地南部を通るシルクロード南路の要所であり、この地を訪れた唐の玄奘は疏勒を仏教が盛んな国であると記述している。

唐がタラス河畔で敗れた後は、共にテュルク語話者のカルルクに属する熾俟(Čigil)国が領有していたが、北方のモンゴル高原で突厥に代わったウイグルが9世紀に衰亡してキルギスに滅ぼされ、ウイグル人が大挙西遷してタリム盆地に入った際に熾俟国も服属したとみられる。

ウイグルは土着のトカラ語系民族と混血し、この地の言語はテュルク化(ウイグル化)する。さらに10世紀には最初のテュルク系イスラム王朝であるカラハン朝の勢力がパミール高原を越えてカシュガルに延び、その王都となったこともある。

宋代には契丹族が建てた西遼に属し、元代にはチャガタイ・ハン国の陪都となり、明代にはヤルカンド・ハン国に属した。このような歴史のなかでカシュガルはイスラム化したウイグル人の中心的都市となる。清代に入ると、乾隆帝の新疆征服により、カシュガル直隷州が設置され、新疆南部を統治する参賛大臣が駐在した。

清末の混乱期にはコーカンド・ハン国から来たヤクブ・ベクがカシュガルを拠点に一時タリム盆地一帯を支配したが、左宗棠により討伐されている。

清朝滅亡後、1913年に疏勒県が設置され、1933年から翌年にかけて短期間であるが東トルキスタン・イスラム共和国がこの地に成立したこともある。

中華人民共和国成立後、1952年には疏勒県からカシュガル市が分置された。1986年対外開放され、同時に国家歴史文化名城に指定された。市内にはカシュガル地区行政公署が設置されている。

ウイグル族などの少数民族が多い土地であるため民族問題を抱えており、2014年7月には中国最大の清真寺(モスク)であるエイティガール寺院のイマームのジュメ・タヒール(英語版)師が殺害される事件が起きている[1]。

^ “中国最大モスクの指導者、殺害される 新疆ウイグル”. AFP (AFPBB). (2014年8月1日). https://www.afpbb.com/articles/-/3022066 2019年5月1日閲覧。 
写真提供者:
Ondřej Žváček - CC BY 2.5
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