Disneyland

( ディズニーランド )

ディズニーランド・パーク(英語: Disneyland)は、アメリカ合衆国のカリフォルニア州アナハイムにあるディズニーパーク。ディズニー・パークス・エクスペリエンス・プロダクツが運営している。

建設計画  ウォルト・ディズニー(左)
ヴェルナー・フォン・ブラウン(右)

ウォルト・ディズニーは、遊園地で楽しいのは子どもだけで大人にはベンチ位しか居場所がなかった1923年の実体験から、大人と子どもの両方が楽しめ、恒久的な娯楽施設の建設を計画した。その際、ディズニーが参考にしたのは、カリフォルニア州オークランドに1950年に作られた、最初の子供用遊園地「チルドレンズ・フェアリーランド」と、デンマークに1843年に作られた遊園地チボリ公園である。

最初の計画では、カリフォルニア州のディズニー社のスタジオの隣に8エーカー(32,000 m2)の土地を取得し、蒸気鉄道をメインとしたパークを建設する予定であった。これはウォルトが子供の頃、鉄道模型を買ってもらえなかったのが理由とされている。当初の目的はディズニー社の社員の娯楽施設だった。

建設開始  設計図を見るウォルト・ディズニー(中央、1954年)

第二次世界大戦後、当初の計画は大幅に拡張され、より広い土地が必要であることが判明した。1950年代初め、事業資金を入手する困難に直面したディズニーには、新たな資金源の開拓が必要となった。ウォルト・ディズニーはテレビを利用することを決め、彼の構想する魔法の王国を各家庭に売り込むことを図り、1954年から『ディズニーランド』と題された番組がABCにより放送された[1][2]。

この際に「自分の制作したものはたとえ一部分たりとも他社に所有権を与えない」という「禁」を破り、ABCに遊園地の一部所有権を与え、契約金75万ドルを得た(後に豊かになったディズニーがこの一部所有権を買い戻した)。

スタンフォード大学の研究員の示唆により、ディズニーは計画中の遊園地のために、初めの計画の22倍に相当する160エーカー(730,000m2)の用地を、1エーカーあたり4000ドルでロサンゼルス近郊のアナハイムに取得した。

この土地は当時オレンジ畑とクルミ畑であったが、一年を通して好天に恵まれている上に、連邦ハイウェイ101(現在の州間高速道路5号線)の建設が予定されており、将来の発展と交通の便が見込まれる土地であった。

1954年7月21日に着工されて以降、ウォルト・ディズニーは建設現場にほぼ毎日訪れ、屈んで子供の視線になって、様々なアトラクションや各種施設が出来上がっていくのをチェック、建物や木々の配置の変更を自ら作業員に指示していたという逸話が残されている[2]。

オープン

1955年7月17日に正式オープンとなり、ウォルト・ディズニー本人をはじめ[3]、カリフォルニア州知事とカトリック教会の司祭、プロテスタント牧師、ユダヤ教の指導者がスピーチを行ったほか、フランク・シナトラも来場した。この日のオープンの模様は先述のテレビ番組『ディズニーランド』でアメリカ中に生中継され、約9000万人が視聴した[4]。ディズニーは、当日のスピーチにおいて、ディズニーランドは「大人はかつての記憶を懐かしみ、若者は未来への挑戦と約束を味わう」場所であり、「世界中の喜びと創造力の源泉になるという願いを込め、アメリカを築き上げた理想と夢と揺らがぬ事実に捧げられている」と、そのコンセプトを述べた[3]。同番組では、俳優のロバート・カミングスやロナルド・レーガン(後のカリフォルニア州知事、およびアメリカ合衆国大統領)、パーソナリティのアート・リンクレターらが出演し、オープンの様子を伝えた[4]。

オープン当日は猛暑になった上に、パーク内の多くはまだ建設中であったこともあり、ガス漏れからウォーターディスペンサーの故障まで様々なトラブルが相次いだ。さらにオープン当初はジャングルクルーズ蒸気船マーク・トウェイン号など、11種類のアトラクションしかなかった上に故障も頻繁に起きたため、初日の様子はキャストから「ブラックサンデー(黒い日曜日)」[5]、メディアからは「ナイトメア(悪夢)」と称された[4][6]。

また、入場券の偽造や場内への無断侵入などにより[5][7]、収容人数15,000人に対して2倍近くの28,000人以上が来場した[4][5][7]。

1950年代後半-1960年代

その後も順調に来客者数を増やし、1956年に「オムニバス」、「ホースレスキャリッジ」、「トムソーヤ島いかだ」、「スカイウェイ」、「おとぎの国のカナルボート」がオープン、1958年に「不思議の国のアリス」、「帆船コロンビア号」がオープン[8]。TWA・ムーンライナーの更新が行われたほか、1959年には「ディズニーランド・アルヴェーグ・モノレール(現:ディズニーランド・モノレール)」や「サブマリン・ヴォヤッジ」、「トゥモローランド・オートピア」[8]などの、その後人気を博すアトラクションが追加されるなど複数のアトラクションが追加、更新された。また、同年に1500万人目のゲストが来園した[8]。

なお、モノレールはその後数回にわたり車両の更新が行われており、2020年現在は5世代目の車両となっている。またサブマリン・ヴォヤッジは1998年に一時改装のため閉鎖されたが、その後映画『ファインディング・ニモ』の要素が追加されてファインディング・ニモのサブマリン・ヴォヤッジとして再オープンした。

1959年にアメリカを初訪問したソビエト連邦の最高指導者であるニキータ・フルシチョフは、大使館員からディズニーランドの存在を聞き訪問を強く希望したものの、保安上の観点からシークレットサービスに訪問を拒否された。これに怒ったフルシチョフは、歓迎晩餐会の挨拶の場でこの事に対する苦情を述べた。

 1963年のディズニーランド1960年代

1963年に「魅惑のチキルーム」などオーディオ・アニマトロニクスを導入したアトラクションがオープン[8]。

1965年には開園から10周年を迎えた。その後5年と10年ごとにアニバーサリー企画が催され、園内が華やかに飾られる他、ゼネラルモーターズなどのスポンサーによる自動車などの入園プレゼント企画も提供された。また、同年に「ウォルト・ディズニー・ストーリー/リンカーン大統領の演説の感動」がオープン[8]。

1966年には1964年からニューヨーク州で開催されたニューヨーク万国博覧会からイッツ・ア・スモールワールドがファンタジーランドに移設されてオープン。ニューオーリンズ・スクエア、「カリブの海賊」も同年にオープンした[8]。

1969年に「ホーンテッド・マンション」などがオープン[8]。

その他、1960年代には、同じく移設されたピープルムーバーがグッドイヤーのスポンサーの元でトゥモローランドにオープンした。さらにディズニーランド・モノレールの路線を延長することで園内と直結した、初の直営ホテルであるディズニーランド・ホテルが開業した。

1970年代

1970年代には、ティーンエイジャー以上の年代の若者の取り込みを目的に、当時若者を中心に人気を集めていたジェットコースター的なアトラクションの充実が図られ、スペース・マウンテンビッグサンダー・マウンテンを始めとする、その後もディズニーランドのアイコン的人気を得ることになるアトラクションが追加された。

1972年に「メインストリート・エレクトリカルパレード」がスタート[8]。

1976年に1億5000万人目のゲストが来園[8]

1978年に「マッターホーン・ボブスレー」などがオープン[8]。

また1970年代中盤以降、円高と航空旅客運賃の低下、それらがもたらした海外旅行熱を受けた日本からの来客者が激増したため、これまではヨーロッパ言語のみであったパンフレットや音声案内、園内の案内板などに、初めてアジア言語である日本語版が設置されるなどの対応が行われた。

1980年代

1983年4月には、京成グループのオリエンタルランドとのライセンス契約により「ディズニーランド」として初めての海外進出となる「東京ディズニーランド」が日本の千葉県浦安市舞浜に開園したにもかかわらず、その後も日本人の来場客が増え続けたために日本人客に対する対応が引き続き充実されている。

1985年には開園から30年を迎え、大掛かりな30周年記念イベントが執り行われた。またこの頃から経年化したアトラクションの更新と廃止が行われ、1980年代後半から、ディズニーランド・モノレールオートピアの車両の入れ替えなどさまざまな改修が行われたほか、初期から提供されていたアトラクションが、老朽化や利用者数の低下などを理由に廃止された。

その一方で、マイケル・ジャクソンが主演を務めた3D映画「キャプテンEO」や、映画『スター・ウォーズ・シリーズ』を元にしたフライトシミュレータ型アトラクションである「スター・ツアーズ」など、当時ディズニー以外とのコラボレーションや、新たなテクノロジーを取り入れたアトラクションがオープンした。

1990年代

1993年には「ファンタズミック!」がスタート、新たなテーマランドである「トゥーンタウン」がオープンしたほか、1995年には映画『インディ・ジョーンズ シリーズ』をモチーフにした「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」などのアトラクションもオープンした[8]。また1994年には、正門横から道を隔てた場所にある、日本の東急グループが所有していた「パン・パシフィック・アナハイム・ホテル」を買収し、新たに「ディズニー・パラダイス・ピア・ホテル」として1995年に開業した。

また引き続き、スカイウェイ(ロープウェー)、ピープルムーバーなどの初期から提供されていたアトラクションが、老朽化や利用者数の低下などを理由に廃止された。

1990年代後半に入ると、1980年代に軍事政権からの脱却や戒厳令施行が終わり、その後急速な経済成長を遂げた中華民国や大韓民国などアジアや、同じく経済成長を遂げたメキシコなどの南アメリカ諸国からの来客者が増大した。

2000年代

2001年2月には、正門前の駐車場スペースに第2パーク「ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー」と、商業施設「ダウンタウン・ディズニー」が建設されたこともあり、これまで平面式であった駐車場が立体式のものに建て替えられた他、駐車場出口が州間高速道路5号線の出入り口と直結するなど利便性が増している。2つのパークと3つのホテル、商業施設を含め「ディズニーランド・リゾート」と呼ばれる。

2005年に開園50周年を迎えた。記念行事は2005年5月5日からスタートし、翌2006年9月まで盛大に行われた。パーク内各所にミッキーの形に「50」の数字が施された飾りが50個隠されたり、50年前のオープン時から現存する乗り物は金色に塗装される等、「ゴールデンアニバーサリー」として、他のディズニーパークも交えてのイベントとなった。これに伴い、パレードや夜の花火なども新規のものが導入された。なお東京ディズニーランドでもこの期間、ウォルト・ディズニーとミッキーのパートナーズ像前に、ディズニーランドが50周年である事を記す飾り付けが施されるなど、世界中のディズニーランドで祝福された。

2010年代

2010年1月には、前年6月に死去したマイケル・ジャクソンの功績を称え、1986年から10年以上上映されていた人気アトラクションキャプテンEOが、キャプテンEOトリビュートとして、2014年7月まで期間限定で再オープンされた。

また、2010年7月には「スター・ツアーズ」が一旦クローズし、3D化された「スター・ツアーズ:ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー」で2011年6月に再オープンするなど、アトラクションの改装も引き続き行われている。なお2010年代の中頃より、経済成長と海外旅行ブームを受けた中華人民共和国やタイ王国などの新興国からの来園者が増加した。

2015年には開園から60年を迎え、眠れる森の美女の城にダイヤモンドを基調とした60周年のデコレーションが施されるなど、大掛かりな装飾が園内の至る所に施されている。さらにペイント・ザ・ナイト・パレードやディズニーランド・フォーエバーなどのショーやパレードも新しくスタートした。この60周年キャンペーンは2015年5月22日に始まり、2016年9月まで開催される。

2015年8月にスター・ウォーズのテーマエリアを建設することを発表した[9]。公表されたアトラクションは2つで、1つはあの「ミレニアム・ファルコン」に乗り、銀河をハイスピードでめぐるというもの、もう1つはゲストが銀河戦争の兵士として戦いに参加できるものである。2017年7月には、エリア名を『スター・ウォーズ:ギャラクシーズ・エッジ』とすることが発表された[10]。このエリアは2019年にオープンした[11][12]

2019年4月20日、2022年にトゥーンタウンで『ミッキーとミニーのランナウェイ・レイルウェイ』がオープンすることが決定[13][14][15]。

2020年代

2020年3月14日、新型コロナウイルスにより、アメリカ国内の感染拡大予防のため3月末まで閉園を決定[16][17] したが、米国国内も爆発的な感染拡大[18] し、カリフォルニア州も緊急事態宣言を発令した[18]。そのため、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートと共に閉園期間の延期を決定[19]。全ディズニーパーク初一斉休園した。

2021年1月14日、ディズニーランドは約40年に渡って続いてきた年間パスポート制度を終了させることを発表した。既存購入者については払い戻しを行うとしている[20]。

^ FRIEDWALD, WILL. “米ディズニーランド開園から60年、先駆の歴史”. WSJ Japan. 2020年3月31日閲覧。 ^ a b 小野アムスデン道子. “カリフォルニアに夢の楽園を築いた ウォルト・ディズニーの知られざる伝説 | カリフォルニア ディズニーランド 60周年を迎えた夢と魔法の国”. CREA. 2020年3月31日閲覧。 ^ a b Opening day dedication of Disneyland (英語). The Walt Disney Family Museum. 17 July 2012. 2024年1月17日閲覧 ^ a b c d “Today in Disney History, 1955: Disneyland’s Opening Day” (英語). WDW Magazine (2021年7月17日). 2022年5月23日閲覧。 ^ a b c “'Black Sunday': Remembering Disneyland's disastrous opening day on its 66th anniversary” (英語). SFGATE (2021年7月18日). 2022年5月23日閲覧。 ^ “Remembering Disneyland’s “Wild” Opening Day in 1955” (英語). ヴァニティ・フェア (2017年7月28日). 2022年5月18日閲覧。 ^ a b “Disasterland: 10 Things That Went Wrong on Disneyland's Opening Day” (英語). スクリーン・ラント (2020年2月24日). 2022年5月18日閲覧。 ^ a b c d e f g h i j k 『東京ディズニーランド大ガイド 海外のディズニーパテーマパークガイド付き』(第1版)講談社、東京、1997年11月4日。ISBN 4-06-267602-8。OCLC 170207940。  ^ https://disneyparks.disney.go.com/blog/2015/08/star-wars-themed-lands-coming-to-walt-disney-world-and-disneyland-resorts/ ^ https://disneyparks.disney.go.com/blog/2017/07/star-wars-galaxys-edge-announced-as-name-for-star-wars-lands-at-disney-parks/ ^ NEWS, LINEトラベルjp. “世界観を完全再現「スター・ウォーズ:ギャラクシーズ・エッジ」ディズニー史上最大テーマランドがオープン | アメリカ”. LINEトラベルjp 旅行ガイド. 2020年3月31日閲覧。 ^ “「スター・ウォーズ:ギャラクシーズ・エッジ」、カリフォルニアとフロリダのディズニーリゾートに登場|パーク&リゾート|ディズニー公式”. ディズニー公式. 2020年3月31日閲覧。 ^ “ミッキー史上初のライドアトラクション、米ウォルト・ディズニー・ワールドに登場 アニメの世界に入り込め!”. ねとらぼ. 2020年3月31日閲覧。 ^ “WDW「Mickey and Minnie’s Runaway Railway」2019年秋オープン決定→2020年春に延期 Destination Dで明らかになった新要素は(Update)”. dpost.jp (2018年11月17日). 2020年3月31日閲覧。 ^ “ディズニー史上初のミッキーマウス&ミニーマウスのライド系アトラクション “ミッキーとミニーのランナウェイ・レイルウェイ” ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートに登場 | ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社のプレスリリース”. prtimes.jp. 2020年3月31日閲覧。 ^ “米ディズニーが閉鎖 14日から3月末まで ホテルは16日まで営業” (jp). Mainichi Daily News. (2020年3月13日). https://mainichi.jp/articles/20200313/k00/00m/030/014000c.amp 2020年3月13日閲覧。  ^ “米仏のディズニーランドも休園 新型コロナで”. 日本経済新聞 (2020年3月13日). 2020年3月31日閲覧。 ^ a b “新型コロナウイルス、米国に本格上陸 カリフォルニア州4郡が非常事態宣言、黄禍論も急浮上 | JBpress(Japan Business Press)”. JBpress(日本ビジネスプレス). 2020年3月31日閲覧。 ^ “米ディズニーの休園延長 新型コロナで4月も - ライブドアニュース”. news.livedoor.com. 2020年3月31日閲覧。 ^ “米ディズニーランド、年間パスポート終了を発表。新型コロナの影響で約40年続いたサービスに幕”. ハフポスト (2021年1月15日). 2021年1月15日閲覧。
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