Villa Epecuén

( ヴィラ・エペクエン )

ビジャ・エペクエンVilla Epecuén)は、アルゼンチンのブエノスアイレス州にある廃墟の村。エペクエン湖畔の観光地として繁栄したが、1985年に水没して放棄された。

リゾート地としての繁栄

ビジャ・エペクエンは、1920年代初めに開発された観光の町である[1]。エペクエン湖の塩水には治癒の効果があると考えられており、塩水浴リゾート地として観光客をひきつけたのである[2]。

まもなく、ブエノスアイレスとの間は鉄道で結ばれるようになった[2]。サルミエント鉄道 (Sarmiento Railway) がラーゴ・エペクエン駅 (es:Estación Lago Epecuén) に、またミッドランド鉄道 (es:Ferrocarril Midland de Buenos Aires) とスド鉄道 (es:Ferrocarril del Sud) は付近のカルウエ駅 (es:Estación Carhué) に旅客を運んでいた。

町の繁栄の頂点は1970年代であった[3]。1950年代から1970年代まで、11月から3月にかけての時期には2万5000人の観光客が訪れ、ロッジやゲストハウス、ホテル、商店など280にのぼる企業があった。1985年の水没時、ヴィラ・エペクエンの人口は約1,500人で[1]、5,000人以上の旅行者を受け入れる能力があった[1]。

1938年 
1938年
1980年 
1980年
水没とその後

気候変動によって、この地域には大量の雨が降るようになった[3][2]。1985年11月10日、湖水は町を守る堤防を越え、町は水没した[3]。居住することはできなくなり、その後再建されることもなかった。

その後も水位は徐々に上昇し、最も深い時期(1993年)には、町は10メートルの水底に沈んでいた[3]。

その後の気候の変化によって水位は低下し、2009年には水没していた町が再び現れるようになった[3]。

この町には今日(2011年現在)、ただ1人の住民であるパブロ・ノヴァク(Pablo Novak、1930年生まれ)が暮らしている。ノヴァクは、町を25年間覆っていた水が引いた2009年に自宅に戻った[3]。

水につかる町(1985年) 
水につかる町(1985年)
湖岸線の変化 
湖岸線の変化
^ a b c Giambartolomei, Mauricio (2013年3月22日). “Fotoreportaje: el cementerio olvidado del lago Epecuén”. La Nacion. http://www.lanacion.com.ar/1550076-fotoreportaje-el-cementerio-olvidado-del-lago-epecuen 2013年3月23日閲覧。  ^ a b c Lauren Davis (2012年12月23日). “This Argentinian tourist village sat underwater for 25 years”. io9. 2017年10月19日閲覧。 ^ a b c d e f “The Ruins of Villa Epecuen”. Atlantic. (2011年6月). https://www.theatlantic.com/infocus/2011/07/the-ruins-of-villa-epecuen/100110/ 
写真提供者:
Amjel105 - CC BY-SA 4.0
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