Utqiagvik, Alaska

( ウトキアグヴィク )

ウトキアグヴィク(Utqiaġvik)[utqe.ɑʁvik], 英語: )は、アメリカ合衆国アラスカ州最北部にある都市。旧名称はバロー(英: Barrow

 土製の住居跡

旧市名のバローはバロー岬(ポイント・バロー)から名付けられた。バロー岬の名は、1825年に岬を発見したイギリスの探検家、フレデリック・ウィリアム・ビーチーを資金面で支えた同国の政治家、ジョン・バローにちなむ。

バローと名付けられる前、この地は先住民の言葉でウクピアグヴィック(Ukpiaġvik、「シロフクロウ狩りの地」を意味する)と呼ばれていた。西暦500年頃には、この地には既に人が住み着いており、ホッキョククジラやアザラシ、野生トナカイなどを狩りながら生活していたとみられ、近隣には800年頃の住居跡も残っている。

1825年にフレデリック・ウィリアム・ビーチーがバロー岬を発見。その頃はイギリス海軍が北アメリカの北極海沿岸を測量していたが、1864年にアラスカがアメリカ領となることが確定、1881年にはアメリカ合衆国陸軍がバローに気象観測および磁極調査の拠点を設けた。1888年には長老派が教会を建立。1893年には捕鯨基地や毛皮取引所が置かれ、1901年には郵便局が設置された。

1935年8月15日、当時アメリカ合衆国を代表するコメディアンであったウィル・ロジャースが搭乗、世界一周飛行などの業績で知られたパイロットのウィリー・ポストが操縦していた飛行機が川に墜落する事故が起き、両名の命が奪われた。その墜落現場は現在記念碑が建ち、アメリカ合衆国国家歴史登録財の指定を受け、またバローの空港の名前も現在「ウィリー・ポスト=ウィル・ロジャース記念空港」と名付けられている。

1972年、バローを中心とするノース・スロープ郡が創設された。財政に余裕ができた分を活かして、郡はバローに道路を建設し、衛生・水道・電力などの公共サービスや保健・教育サービスを充実させるなど、インフラストラクチャー整備に力を入れた。1986年には、郡は地域初の高等教育機関となるノース・スロープ高等教育センター(North Slope Higher Education Center)を開校した。2003年には同センターは2年制大学として認可を受け、名称もイリサグヴィック大学(Ilisagvik College)と改められた。同大学は、エスキモーの伝統文化に基づいた教育を行っている。

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