یزد

( ヤズド )

ヤズド(ペルシア語: یزد‎; Yazd [jæzd] ( 音声ファイル))はイラン中央部、ヤズド州の州都。イランにおいて古い歴史をもつ都市の一つで、ゾロアスター教文化の中心地である。エスファハーンの南東約280kmに位置する。人口は2005年の推計で433,836人、2006年で505,037人。世代をこえた砂漠環境への適応のため、ヤズドは建築学的にも独特の表情を持つ都市である。高品質の手工業品、特に絹織物と菓子で知られる。

ヤズドの歴史は3000年の長きにわたり、当時ヤズドはヤスティスないしイッサティスと呼ばれたメディア王国の時代まで遡る。しかしながら今日の名「ヤズド」はサーサーン朝の統治者ヤズデギルド1世に由来するものと思われる。サーサーン朝期、ヤズドはゾロアスター教の明らかな中心地となっている。イランのイスラーム征服後、近隣各地のゾロアスター教徒はヤズドに逃れた。イスラーム統治下に入った後もジズヤを納めねばならなかったが、都市住民の大部分はゾロアスター教徒であって、イスラームがヤズドで優勢な宗教となるまで非常に長い時間がかかっている。

アミール・チャグマグの高所から見たヤズドの街 
アミール・チャグマグの高所から見たヤズドの街
今日も使われるヤズドのジャーメ・モスク。12世紀、ブワイフ朝のアラーアッダウラ・ガルシャースブにより建築。 
今日も使われるヤズドのジャーメ・モスク。12世紀、ブワイフ朝のアラーアッダウラ・ガルシャースブにより建築。
ゾロアスター教の神殿(アーテシュガーフ) 
ゾロアスター教の神殿(アーテシュガーフ)
沈黙の塔。ゾロアスター教徒が鳥葬の場に使用した。 
沈黙の塔。ゾロアスター教徒が鳥葬の場に使用した。
ドウラターバードのバードギール。砂漠適応したペルシア建築の代表例。 
ドウラターバードのバードギール。砂漠適応したペルシア建築の代表例。

ヤズドは遠隔の砂漠の地にあって攻めにくく、大規模な戦闘とそれに伴う破壊や惨劇を免れてきた。たとえばチンギス・ハーンによるモンゴル帝国のイラン侵入にあたっては、ヤズドは他地域住民の避難地となっている。1272年にヤズドを訪れたマルコ・ポーロはヤズドの優れた絹織物産業に言及している。14世紀、ヤズドは短期間だがムザッファル朝の首都となっており、1350–51年にシャイフ・アブー・イスハーク治下のインジュー朝による攻囲を受けている。おそらくはヤズドでもっとも重要な建造物であるヤズド集会モスクなどが建築されたのはこの時代のことである。18世紀以降、ガージャール朝下のヤズドはバフティヤーリー族のハーンらの統治を受けた。

写真提供者:
Statistics: Position
2647
Statistics: Rank
45945

コメントを追加

CAPTCHA
セキュリティー
538264791このシーケンスをクリックまたはタップします: 5481
この質問はあなたが人間の訪問者であるかどうかをテストし、自動化されたスパム送信を防ぐためのものです。

Google street view

どこの近くで寝れますか ヤズド ?

Booking.com
498.935 総訪問数, 9.226 興味がある点, 405 保存先, 48 今日の訪問.