大阪モノレール株式会社(おおさかモノレール)は、大阪府内で大阪モノレール線(本線)および、国際文化公園都市モノレール線(彩都線)の2つの跨座式モノレールの路線を運営している大阪府出資の第三セクター会社である。本社は大阪府吹田市のモノレール車両基地内に所在する。

大阪モノレールの路線には、関西大手私鉄では阪急と京阪の路線のみが接続しているが、大阪モノレールの株主には路線接続のない近鉄の親会社近鉄グループホールディングスなども含まれている。また、JR西日本の路線とも接続する駅は存在しないが、本線の延伸計画では、JR学研都市線(片町線)や近鉄の奈良線との接続が予定されている。

社章は山口徽章製作所がデザインし、大阪の「O」と放射鉄道(LINE)を環状線(LOOP)で繋ぐ(LINK)といった複数の意味を込めた「L」を組み合わせウルトラマリンブルーの配色としている。

1998年に当時の営業距離21.2kmが世界最長のモノレールとしてギネス世界記録に認められ、2007年には28.0kmまで延長されたが、2011年に中国重慶市の重慶軌道交通が39.1kmの新路線(重慶軌道交通3号線)を開業したため、世界最長ではなくなっている(現在は世界2位)。

事業の経緯

大阪都市圏は大阪市を中心として発展してきたため一点集中型の都市構造となっており、鉄軌道網についてもその都市構造を反映して放射状に形成整備されてきた経緯がある。都市圏の拡大発展に伴って、都心部では過度の集中による混雑、周辺地域では市街地の拡大による既存鉄道の不足という問題が発生した。このため、都心部の混雑緩和・都市業務地域の分散・周辺都市総合の公共輸送機関サービスの提供・自動車交通抑制に伴う代替交通機関の提供等、府下均衡ある発展を目指す環状鉄軌道の必要性が唱えられた[1]。

1966年(昭和41年)8月、1970年(昭和45年)に開催される日本万国博覧会の輸送対策として、都心から放射状に伸びている国鉄(現・JR西日本)・私鉄9路線と接続し、これら沿線からの来場客の利便の向上とともに博覧会終了後も近畿圏整備に中核的機能を果たす鉄道建設の提案がなされた(万博輸送対策に関連する中央環状線鉄道建設の提案・佐伯構想)。当面は府道大阪中央環状線に沿って阪急千里線と国鉄関西本線との間、延長約26.1kmを建設し、将来は堺市ならびに西宮市方面へ延長することが考えられた[1]。

1967年(昭和42年)に策定された大阪府の大阪地方計画では、「府下の交通網は従来からの既成市街地を中心として主として放射状に整備されているが、都市整備の観点からも地域開発の観点からも環状路線および周辺地域間の交通路線に早急に整備する必要がある」とされた[1]。

1971年(昭和46年)1月の大阪府企画室試案では、「都心部への過度集中を緩和し多核心的な都市構造の形成が必要である。このため東大阪を南北に貫き、北大阪、南大阪を東西で結ぶ「中央環状鉄道」の建設が有力な戦略となる。この環状鉄道には、モノレール等の新しい輸送方式を導入することを検討する。新しい駅周辺の開発により、鉄道の開発先導性を発揮する」とされた[1]。

年表  大阪モノレール千里中央ビル(旧本社所在地)1980年(昭和55年)12月15日:大阪高速鉄道株式会社として設立[2]。 1982年(昭和57年)11月17日:大阪モノレール線 南茨木 - 千里中央間に着工[3]。 1990年(平成2年)6月1日:大阪モノレール線 南茨木 - 千里中央間が開業[2]。 1991年(平成3年)7月25日:大阪モノレール線 南茨木 - 門真市間の工事の起工式が行われる[4]。 1994年(平成6年)9月30日:大阪モノレール線 柴原(現在の柴原阪大前) - 千里中央間が開業[2]。 1997年(平成9年) 4月1日:大阪モノレール線 大阪空港 - 柴原間が開業。同時に「茨木」駅から「宇野辺」駅へと駅名変更[2]。 8月22日:大阪モノレール線 南茨木 - 門真市間が開業[2]。 1998年(平成10年)10月1日:国際文化公園都市モノレール線(彩都線)万博記念公園 - 阪大病院前間が開業[2]。 2006年(平成18年)2月1日:PiTaPa導入[2]。同時にICOCAも利用可能に。 2007年(平成19年) 2月1日:通学定期券の割引率を50%から60%に拡大し値下げ。 3月19日:国際文化公園都市モノレール線(彩都線)阪大病院前 - 彩都西間が開業[2]。全線で駅ナンバリング導入。 2013年(平成25年)3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始で、Kitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる。 2016年(平成28年)8月1日:本社を大阪府豊中市新千里東町1-1-5の千里中央ビルから現在地に移転[5]。 2017年(平成29年)4月1日:大阪モノレール各駅でICOCA、およびICOCA定期券の発売、ならびに阪急電鉄・北大阪急行電鉄などとのIC連絡定期の発売を開始[6][7][8]。 2019年(平成31年)3月21日:千里中央駅で可動式ホーム柵が稼働開始[9]。以後、順次各駅に導入[10][注釈 1]。 2020年(令和2年)6月1日:社名を大阪モノレール株式会社に変更[11]。^ a b c d 大阪モノレール建設記録 大阪府土木部 大阪高速鉄道株式会社 1990年6月発行 ^ a b c d e f g h 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「sone30」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ “「大阪モノレール」起工式 まず千里中央-南茨木間七キロ”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1982年11月19日)  ^ 1991年7月26日『朝日新聞』朝刊 p26 ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「ho」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ ICカード乗車券を活用した連携サービスの拡大について (PDF) - 大阪高速鉄道、2015年11月26日 ^ ICOCA および ICOCA定期券の発売開始日について (PDF) - 大阪高速鉄道、2017年2月3日 ^ 大阪モノレールにおけるICOCAによる連絡定期券の発売開始について (PDF) - 大阪高速鉄道、2017年2月3日 ^ 千里中央駅「可動式ホーム柵」の使用を開始します (PDF) - 大阪高速鉄道、2019年3月14日 ^ 安全報告書2019 (PDF) - 大阪高速鉄道 ^ 『社名変更について』(PDF)(プレスリリース)大阪高速鉄道、2020年5月11日。 オリジナルの2020年5月23日時点におけるアーカイブ。https://web.archive.org/web/20200523055241/https://www.osaka-monorail.co.jp/monorailwp/wp-content/uploads/2020/05/pressrelease_20200511.pdf2020年6月2日閲覧 


引用エラー: 「注釈」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="注釈"/> タグが見つかりません

写真提供者:
PetrSPK - Public domain
Louis Lo heyhayfoto - CC0
Kitayama - CC BY-SA 4.0
Statistics: Position
6483
Statistics: Rank
11231

コメントを追加

CAPTCHA
セキュリティー
842573619このシーケンスをクリックまたはタップします: 5163
この質問はあなたが人間の訪問者であるかどうかをテストし、自動化されたスパム送信を防ぐためのものです。

Google street view

動画

どこの近くで寝れますか 大阪モノレール ?

Booking.com
494.469 総訪問数, 9.222 興味がある点, 405 保存先, 244 今日の訪問.