Hofburg

( ホーフブルク宮殿 )

ホーフブルク宮殿(ホーフブルクきゅうでん、独: Hofburg、「皇宮」の意)は、オーストリアのウィーン中央にある元皇宮宮殿。13世紀頃に建設後、ハプスブルク家、神聖ローマ帝国の王宮となり、1918年までオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝の宮殿として使われた。

 18世紀の宮殿内部(6)。ヨーゼフ2世とマリア・イザベラ・フォン・ブルボン=パルマの結婚晩餐会の様子。マルティン・ファン・マイテンス画、1763年

13世紀頃(1275年ごろ)にオーストリア公国公城として、オーストリア公オタカル2世によって建てられたと言われている。その後、オタカル2世が神聖ローマ皇帝ルドルフ1世(ハプスブルク家)に敗れ、ハプスブルク家の居城 兼 皇宮となった[1]。その後も増改築を繰り返し、今の姿となった。

それから、神聖ローマ帝国(オーストリア公国・オーストリア大公国)、そしてオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝の宮殿、そしてウィーンの市壁(ドイツ語版)の一部として使用された。

1278年から1918年の間はハプスブルク家の居城と権力の中心であり、ホーフブルクで生まれた歴史的人物の中には、マリー・アントワネット、マリア・レオポルディナ・デ・アウストリアらがある。2,600室以上の客室を有すと言われ、20ヘクタールの面積を占める建築の壮大さと大きな庭園が存在する。

1938年、新宮殿のテラスで、アドルフ・ヒトラーがオーストリア併合を宣言した。

1945年以降は、オーストリア大統領公邸、教会、美術館、図書館などが入った複合施設となっている。

今日、広大な複合施設には、オーストリア国立図書館、スペイン乗馬学校、オーストリア大統領の官邸、オーストリア国立博物館があり、その中にはウィーン会議で使用された部屋、そして約7世紀の治世の間にハプスブルク家によって蓄積された神聖な宝物や芸術作品のコレクションが納められた。

16世紀以前の姿。モリッツ・ベルマン画、1880年 
16世紀以前の姿。モリッツ・ベルマン画、1880年
1683年第二次ウィーン包囲時の塹壕とウィーン市壁とホーフブルク宮殿 
1683年第二次ウィーン包囲時の塹壕とウィーン市壁とホーフブルク宮殿
ウィーン美術史美術館にある1845年ごろのホーフブルク宮殿模型 
ウィーン美術史美術館にある1845年ごろのホーフブルク宮殿模型
^ 『るるぶウィーン・プラハ・ブダペスト』(2017年版)JTBパブリッシング〈るるぶ情報版海外〉、2016年2月、16頁。ISBN 978-4-533-10925-6。 
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