楽山大仏(らくさんだいぶつ)は、中国・四川省楽山市にある、弥勒菩薩を象(かたど)って彫られた巨大な磨崖仏(石仏)であり、石窟寺院の一種である。「峨眉山と楽山大仏」として、近隣にある峨眉山とともにユネスコの世界遺産に登録されている。1982年に「峨眉山風景名勝区」の一部として中華人民共和国国家級風景名勝区に認定され、2011年に中国の5A級観光地にも認定された。

 右足方から見上げる楽山大仏 大仏の左肩側から見下ろす景観建造と火難

楽山大仏は、後述の韋皋(い こう)が編ませた『嘉州凌雲寺大像記』の伝えるところによれば、開元元年(713年)、楽山周辺では塩が大量に取れ、年間の生産高は現在の価格に換算すると1千億円以上でその成功を仏様に感謝したいという気運が高まったことと、当時頻繁に起こっていた塩を運ぶ大動脈である岷江の水害を大仏の力で治めてもらおうという願いから、僧の海通が民衆の布施の下に寺院・凌雲寺に隣接する崖に石像を彫り始めた。

天宝2年(743年)、海通は大仏が完成する前に亡くなったが、剣南西川節度使であった韋皋が建設を受け継ぎ貞元19年(803年)に完成したと口々に宣伝されるようになったのは、近年。古き伝えでは871年。

川の合流地点に工事で出た大量の土砂を投入することにより、川底が浅くなり、海通の意図通りに水害は大幅に減ることとなった。

完成当時、大仏は「大仏像閣」と称する13層の木造の建造物に覆われ、法衣には金箔、胴には朱色が塗られていた。 さらに、湧水を外に逃がすための排水溝、そして雨水を効率よく逃す溝が掘られていた。 しかし、明代末期に建物は焼失、大仏も風雨に晒されて色が落ち、雑草に覆われていった。

修復と保護の問題

修復は1962年になってようやく行われた。 その際、像の胸の部分から明代に開けられたと見られる穴が発見され、経典などを入れるためのものであったとの推測がなされている。

最近では酸性雨によると思われる染みが見られる。

世界遺産

楽山大仏は1996年、比較的近隣にある仏教の一大聖地・峨眉山とともに、複合遺産「峨眉山と楽山大仏」の名でユネスコの世界遺産に登録された。

2018年の修復

2018年10月8日、大仏の胴体の破損を修復する工事が行われ、2019年3月末に完成した。その後、修復した後の写真として、顔の部分を画像処理ソフトで実物より白く加工したものがインターネットを介して出回ったため、修復に批判的な意見が見られるようになった[1]。

2020年の出水

2020年7月から8月にかけて長雨が続き、大仏に面する川が増水。2020年8月19日までに大仏の足元まで水が達する状況になった[2]。

^ “世界遺産の「楽山大仏」 修復で美白のイケメンに?”. CNS (2019年7月8日). 2020年8月19日閲覧。 ^ “中国南西部の洪水、「楽山大仏」の足にも届く 10万人以上避難”. AFP (2020年8月19日). 2020年8月19日閲覧。
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