馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。

かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。

石畳の敷かれた坂に沿う宿場かつ近代を代表する作家の一人である島崎藤村の故郷として知られ、馬籠峠を越えた長野県側の妻籠宿(木曽郡南木曽町)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。

天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒で宿内人口は717人であった。

馬籠は(1215年)当時には「美濃州遠山庄馬籠村」といい、源義仲(木曽義仲)の異母妹・菊姫が源頼朝から領地として賜り、兄の義仲を弔うため法明寺という尼寺で暮らしていたと伝わりその跡地が存在する。長享元年(1487年)頃になると木曽馬籠や恵那郡馬籠といったりするようになるが、妻籠までが信州木曽谷で、馬籠は美濃に属した[1]。

^ 島崎藤村『夜明け前』における木曽山林事件の虚実 林業経済史の立場から 西川善介、専修大学社会科学年報第40号、2006
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