ギザの大スフィンクス(ギザのだいスフィンクス、Great Sphinx of Giza)は、巨大なスフィンクスの石像である。古代エジプトの古王国時代に作られ、カイロ郊外、ギザのギザ台地の、三大ピラミッドのそばにある。
一般には単に「スフィンクス」と呼ばれることも多い。現代アラビア語では「أبو الهول(Abu al-Haul)」で、「畏怖の父」の意味。発音は標準アラビア語でアブ・ル・ハウル(Abul-Haul)、エジプト方言ではアブル・ホール(Abul-Hool)となる。
大スフィンクスは「西方(冥界の入口)の守護者」として歴代の王に信仰された(狛犬の項目も参照)。
アビュドスにあるエジプト初期王朝時代第1王朝のアハ王の地下墳墓の傍に、多数の殉死死体とともに、権力の象徴であるライオンも埋葬されていたことが発掘からわかっている(第2王朝に入ると殉死の習慣は無くなる)。この風習が、ピラミッドの傍に、人間の頭とライオンの胴体とを合わせ持つ大スフィンクスを建造したことと関係があると考えられている。
一説には、スフィンクスはホルスの数ある姿の一つとされる。
ホルスは、ホル・エム・アケト(Hor-em-akhet、「地平線におけるホルス」の意)の名ではスフィンクスの姿で主に表現された。日の出の太陽とみなされ、復活を象徴する者となり、ケプリとも関連づけられた。彼はまた多くの知恵を備えた者とされた(これは古代ギリシアのスフィンクスを想起させる)。
大スフィンクスは、古来、幾度か砂に埋没することを繰り返している。
建造から1000年以上後のエジプト新王国時代第18王朝のトトメス4世により、砂に埋もれていた大スフィンクスは掘り起こされ、大規模な修復が行われた。その時に大スフィンクスの両前足の間にトトメス4世の業績を讃える石碑(夢の碑文)が建立された。(碑に刻まれた年から)紀元前1401年のことである。修復された大スフィンクスは鮮やかに塗装され、周囲に風化を防ぐための壁が建てられた。
第26王朝においても修復が行われた。
ローマの支配下でもローマ人によって修復された。両前足のブロック積みはその時代の物である。
1798年にナポレオン・ボナパルトがギザを訪れた時にも、大スフィンクスの首から下は砂に埋もれていた。
エジプト考古学博物館のフランス人館長ガストン・マスペロの呼びかけにより発掘のための寄付が集められ、大スフィンクスの全身が現れたのは1926年である。
1926年から1988年にかけて、前足から後部にかけて修復が行われた。
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