San Francisco

( サンフランシスコ )

サンフランシスコ市郡(サンフランシスコしぐん、英語: City and County of San Francisco、漢字表記「桑港」)、通称サンフランシスコSan Francisco) は、アメリカ合衆国西海岸にあるカリフォルニア州の北部に位置する都市であり、北米有数の世界都市。

サンフランシスコ市郡(サンフランシスコしぐん、英語: City and County of San Francisco、漢字表記「桑港」)、通称サンフランシスコSan Francisco) は、アメリカ合衆国西海岸にあるカリフォルニア州の北部に位置する都市であり、北米有数の世界都市。

先史

この土地に人が居住していた最古の痕跡は、紀元前3000年に遡る[1]。

スペイン入植  サンフランシスコ・ド・アッシス伝道所

ガスパル・デ・ポルトラ率いるスペイン人の入植者が1769年11月2日に到達した。記録されている中ではヨーロッパ人による最初のサンフランシスコ湾到達ではある。 しかし、それまではインディアン部族オーロネ族のグループがいくつかの小さな村に分かれて住んでいる状態であった[2]。 その7年後の1776年3月28日、スペイン人によってサンフランシスコ要塞(英語版)が築かれ、続いてサンフランシスコ・デ・アッシス伝道所が建設された。

メキシコ統治からアメリカ領土化

1821年、スペインからのメキシコ独立革命により、この地はメキシコの一部となった。メキシコの統治の下、伝道所の制度は徐々に廃止され、その土地は民営の牧場に転換されていった。 1835年、イギリス人ウィリアム・リチャードソンが現在のポーツマス・スクエアに当たる船着場近くに初めて独立の自作農場を作った[3]。 彼は、フランシスコ・デ・ハロ市長とともに街路計画を立て、「イェルバ・ブエナ」と名付けられたこの街にアメリカの入植者が集まってくるようになった。 米墨戦争中の1846年7月7日、アメリカ軍のジョン・スロート代将がカリフォルニアをアメリカの領土と宣言した。翌1847年、イェルバ・ブエナはサンフランシスコと改名され[4]、メキシコはグアダルーペ・イダルゴ条約で正式にこの一帯の領地をアメリカに割譲した。サンフランシスコは、港として、また海軍基地としても絶好の立地にあったが、当時はまだ住みにくい小さな植民地であった[5]。

ゴールドラッシュ  1851年のポーツマス・スクエア。

ところが、カリフォルニア・ゴールドラッシュによって、金を求めて多くの人が押し寄せた。 サワードウ・ブレッドを携えた人夫[注 1] がこの街に集まり、人口は1848年の1000人から1849年には2万5000人へと増加し[6]、競合するベニシアを超えるようになった[7]。莫大な富を手に入れられるという望みは大きく、船で到着した者は金鉱へと駆け出し、港にはたくさんの船のマストが立ち並んだ[8]。 サンフランシスコに市場ができると東海岸と西海岸を「陸路のパナマ」で繋いだ航路ができ、米国は本格的に太平洋航路の開拓に乗り出すことになる。

一方、短期間に多くの移民が殺到したことから、1850年代には財産や自由、人倫を保護する名目で自警団がたびたび組織された。 1856年5月には連邦政府の警察権や司法権を超越した数千人規模の自警団が作られ、約3か月の間事実上の軍政状態となった[9]。 1850年協定によってカリフォルニアは州の資格を得、アメリカ軍はサンフランシスコ湾を防衛するためゴールデンゲート海峡の砦フォート・ポイントと、アルカトラズ島の砦を築いた。 1859年のカムストック鉱脈をはじめとする銀の発見も、急速な人口増大を更に後押しした[10]。 鉱山の一旗組の中には無法者も多く、バーバリコースト地区は、犯罪、売春、ギャンブルの巣窟として悪名をとった[11]。

ゴールドラッシュで成功した多くの企業家が、その財を元手に事業を展開した。 1852年にはウェルズ・ファーゴが設立され、1864年にはカリフォルニア銀行が設立された。

交易都市として発展

サンフランシスコ港の発展により、街は交易の中心地となった。 リーヴァイ・ストラウスは衣類の事業を、ドミンゴ・ギラーデリーはチョコレート製造業を始めた。 様々な移民労働者の存在により、街には多様な文化が入り交じり、例えば中国人の鉄道労働者によってチャイナタウンが生まれた。 1873年にケーブルカーが敷かれ、クレイ・ストリートの急な坂を上るようになった。ビクトリア様式の家々が立ち並ぶようになり、広い公園の必要が叫ばれるようになって、ゴールデン・ゲート・パークの計画につながった。 学校、教会、劇場、その他様々な施設が建てられた。

また、サンフランシスコ要塞は、太平洋岸におけるアメリカの最も重要な軍事施設となった[12]。 20世紀を迎える時点で、サンフランシスコは、その華やかさ、豪華なホテル、ノブヒル地区の邸宅、そして芸術の繁栄で知られるようになった[13]。

震災と火災  1906年のサンフランシスコ地震とそれによる火災。

1906年4月18日午前5時12分、サンフランシスコ地震がサンフランシスコ市内及びカリフォルニア北部を襲った。建物は倒壊し、破裂したガス管が引火して火災が発生し、数日間にわたって街中を焼き尽くした。水道管は使えなくなっていたので、サンフランシスコ要塞の砲兵隊は建物をダイナマイトで破壊することで防火帯を作り、火を封じ込めようとした[14]。 街の4分の3以上が灰燼に帰し、ダウンタウンの中心部はほとんど焼けてしまった[15]。 当時の記録によれば、498人が命を落としたとされるが、現代の推計では死者は数千人に上るだろうと考えられている[16]。市の人口40万人のうち半数以上が住む家を失った[17]。 避難者は、しばらくの間、ゴールデン・ゲート・パークや、要塞や、海岸などに設けられた間に合わせのテント村で生活した。また、サンフランシスコの東のイーストベイまで移住した人も多い。

災害からの復興  1915年サンフランシスコ万国博覧会のパレス・オブ・ファイン・アーツ。

その後、復興が急ピッチで進んだ。街路を一から設計しなおすよう求める声もあったが、サンフランシスコ市民は、スピードを優先した[18]。 アマデオ・ジアニーニが創設したバンク・オブ・イタリー(後のバンク・オブ・アメリカ)は、生計の手段を奪われた人々に貸出しを行った。ノブヒル地区の倒壊した邸宅は、豪華ホテルとなった。サンフランシスコ市庁舎は、見事なボザール様式で再建され、1915年のサンフランシスコ万国博覧会でその再生が祝われた[19]。

金融都市としての発展

その後、サンフランシスコは、金融センターとしての地位を強固なものにしていった。 1929年のウォール街大暴落の時でさえ、サンフランシスコの銀行は一つも破綻しなかった[20]。 世界恐慌の最中も、サンフランシスコではサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ(1936年完成)とゴールデン・ゲート・ブリッジ(1937年完成)という2大プロジェクトが同時に進行していた。

なお、同じころ、軍事施設だったアルカトラズ島が連邦刑務所となり、アル・カポネ、マシンガン・ケリー、「バードマン」と呼ばれたロバート・フランクリン・ストラウドなどがここに収容された。さらに、1939年から1940年にかけては2度目の国際博覧会となるゴールデン・ゲート国際博覧会が開かれ、その会場として湾内に人工島トレジャー島が造成された。

軍港から戦争の終結  ゴールデン・ゲート・ブリッジの下を通る重巡洋艦サンフランシスコ。第二次世界大戦中の1942年。

第二次世界大戦中、ハンターズ・ポイント海軍造船所は軍事活動のハブとなり、フォート・メイソンが太平洋戦域に出発する兵士の乗船場となった[21]。 雇用の爆発的な増大により、特に南部からのアフリカ系アメリカ人が職を求めて集まってきた。 戦後、港に帰ってきた復員兵や、それまでに集まっていた労働者の多くが、そのままサンフランシスコに留まった。1945年、国際連合憲章がこの地で起草され、署名されたほか、太平洋戦争を正式に終結させるサンフランシスコ平和条約が締結された。

現代  サンフランシスコのダウンタウン

1950年代・1960年代の都市開発プロジェクトにより、市西部の取り壊しと再開発が進み、新しい高速道路の建設が始まった。 もっとも、間もなく市民の反対運動が起こり、建設は間もなく停止に追い込まれた[22]。

1972年、トランスアメリカ・ピラミッドビルが完成した[23]。

1980年代にはサンフランシスコの「マンハッタン化」が進み、ダウンタウンに多数の高層ビルが立ち並ぶようになり[24]。

港湾機能が次第にオークランド港に移転していくに伴って、市の製造業人口は減少を始め、代わって市の経済における重要性を増したのが観光である。 郊外の発展が著しく、白人人口が市内を去り、アジア系・ラテンアメリカ系移民が流入した[25][26]。

また、戦後、サンフランシスコはアメリカのカウンターカルチャーの舞台でもあった。 1950年代、ビート・ジェネレーションの作家たちによってサンフランシスコ・ルネッサンスが提唱され、ノースビーチ地区がその中心地となった[27]。 バークリーやオークランドとともに、サンフランシスコはアメリカでもベイエリアのリベラルな都市として知られるようになった。 1960年代には、ヒッピーがヘイト・アシュベリー地区に集まり、1967年のサマー・オブ・ラブでその頂点を迎えた[28]。 1970年代には、サンフランシスコは性的少数者(LGBT)の権利運動の中心地となり、カストロ通りはゲイ・タウンとして著名になった。活動家のハーヴェイ・ミルクがサンフランシスコ市会議員に当選したが、1978年、ジョージ・マスコーニ市長とともに暗殺された[29]。

1989年にはロマ・プリータ地震が、サンフランシスコを含むベイ・エリアを襲った。マリナ地区やSoMa(サウス・オブ・マーケット)地区では建物の倒壊が激しく、エンバカデロ・フリーウェイ(州道480号)や、セントラル・フリーウェイの多くの部分が崩落した。なお、こうした高速道路の破壊を機に、市は歴史的な街並みの再建へ転じることになった。

IT都市

1990年代後半のインターネット・バブル(ドットコム・バブル)の中、ベンチャー企業が経済の原動力となった。多くの起業家やコンピューター・アプリケーション企業がこの街に集まり、続いてマーケティングや営業の専門職が住むようになって、一時期は荒廃していた地区でジェントリフィケーションが進んだ。

しかしながら、2001年頃にバブルが崩壊すると、これらの企業の多くが倒産し、その従業員も街を去った。中心市街地では貧困と荒廃が進み、かつての華やかさは失われつつある[30][31]。

とはいえ、その後もハイテク産業と起業家精神はサンフランシスコの経済を支える屋台骨であり続けている[32]。2008年からウィキメディア財団も事務局を置く。

2020年代には自動運転によるタクシーも登場したが、2024年2月10日夜、春節でにぎわう中華街で群衆により破壊、放火される事件も発生。当時、自動運転タクシーによる事故が相次いでおり、不満を募らせた群衆による嫌がらせの可能性も指摘された[33]。

^ Stewart, Suzanne B. (2003年12月). “Archaeological Research Issues For The Point Reyes National Seashore - Golden Gate National Recreation Area” (PDF). Sonoma State University - Anthropological Studies Center. 2008年6月12日閲覧。 ^ “Visitors: San Francisco Historical Information”. City and County of San Francisco (n.d.). 2008年6月10日閲覧。 ^ The Virtual Museum of the City of San Francisco (2004年7月16日). “From the 1820s to the Gold Rush”. The Virtual Museum of the City of San Francisco. 2008年6月13日閲覧。 ^ “History of Yerba Buena Gardens”. MJM Management Group (2004年). 2008年6月13日閲覧。 ^ Wiley, Peter Booth (2000). National trust guide- San Francisco: America’s guide for architecture and history travelers. New York: John Wiley & Sons, Inc.. pp. 4–5. ISBN 9780471191209. OCLC 44313415  ^ Richards, Rand (1992). Historic San Francisco: A Concise History and Guide. Heritage House. ISBN 1-879367-00-9. OCLC 214330849  ^ “San Francisco's First Brick Building”. The Virtual Museum of the City of San Francisco (2004年7月16日). 2008年6月13日閲覧。 ^ Harris, Ron (2005年11月14日). “Crews Unearth Shipwreck on San Francisco Condo Project”. Associated Press. http://www.constructionequipmentguide.com/story.asp?story=6287&headline=Crews 2006年9月4日閲覧。  ^ 田中きく代、中井義明、朝治啓三、高橋秀寿(編著)『境界域から見る西洋世界』〈西洋史ライブラリー〉 ミネルヴァ書房 2012年、ISBN 978-4-623-06122-8 pp.63-76. ^ Wiley, Peter Booth (2000). National trust guide- San Francisco: America’s guide for architecture and history travelers. New York: John Wiley & Sons, Inc.. pp. 31–33. ISBN 9780471191209. OCLC 44313415  ^ Wiley, Peter Booth (2000). National trust guide- San Francisco: America’s guide for architecture and history travelers. New York: John Wiley & Sons, Inc.. pp. 237–238. ISBN 9780471191209. OCLC 44313415  ^ “Under Three Flags” (PDF). Golden Gate National Recreation Area Brochures. US Department of the Interior (2004年11月). 2008年6月13日閲覧。 ^ Wiley, Peter Booth (2000). National trust guide- San Francisco: America’s guide for architecture and history travelers. New York: John Wiley & Sons, Inc.. pp. 44–55. ISBN 9780471191209. OCLC 44313415  ^ “Presidio of San Francisco: Firefighting and Dynamiting”. Golden Gate National Recreation Area. US Department of the Interior (2003年12月24日). 2008年6月13日閲覧。 ^ Montagne, Renée (2006年4月11日). “Remembering the 1906 San Francisco Earthquake”. People & Places (National Public Radio). http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=5334411 2008年6月13日閲覧。  ^ “Casualties and Damage after the 1906 earthquake”. Earthquake Hazards Program - Northern California. US Geological Survey (2008年1月25日). 2008年6月13日閲覧。 ^ “Presidio of San Francisco:1906 Earthquake and Fire”. Golden Gate National Recreation Area. US Department of the Interior (2004年8月25日). 2008年6月13日閲覧。 ^ Wiley, Peter Booth (2000). National trust guide- San Francisco: America’s guide for architecture and history travelers. New York: John Wiley & Sons, Inc.. pp. 56–62. ISBN 9780471191209. OCLC 44313415  ^ Wiley, Peter Booth (2000). National trust guide- San Francisco: America’s guide for architecture and history travelers. New York: John Wiley & Sons, Inc.. pp. 9. ISBN 9780471191209. OCLC 44313415  ^ “San Francisco Gold Rush Banking - 1849”. The Virtual Museum of the City of San Francisco (2004年6月24日). 2008年6月13日閲覧。 ^ “Port of Embarkation Essay—World War II in the San Francisco Bay Area”. A National Register of Historic Places Travel Itinerary:. US Department of the Interior (2007年8月28日). 2008年6月13日閲覧。 ^ Fang, Eric (1999年2月). “Urban Renewal Revisited: A Design Critique”. SPUR Newsletter (San Francisco Planning and Urban Research Association). http://www.spur.org/publications/library/article/urbanrenewalrevisited02011999 2009年8月3日閲覧。  ^ “Pyramid Facts and Figures”. Company Profile. Transamerica Insurance and Investment Group. 2008年6月13日閲覧。 ^ Wiley, Peter Booth (2000). National trust guide- San Francisco: America’s guide for architecture and history travelers. New York: John Wiley & Sons, Inc.. pp. 95–96. ISBN 9780471191209. OCLC 44313415  ^ Willis, James; Habib, Jerry, Brittan, Jeremy (2004年4月19日). “San Francisco Planning Department Census Data Analysis” (PPT). San Francisco State University. 2008年6月13日閲覧。 ^ Minton, Torri (1998年9月20日). “Race Through Time”. San Francisco Chronicle (Hearst Communications): p. SC-4. http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/chronicle/archive/1998/09/20/SC72759.DTL 2008年6月13日閲覧。  ^ Wiley, Peter Booth (2000). National trust guide- San Francisco: America’s guide for architecture and history travelers. New York: John Wiley & Sons, Inc.. pp. 240–242. ISBN 9780471191209. OCLC 44313415  ^ “American Experience: Summer of Love: Film Description”. Website for American Experience documentary on the Summer of Love. PBS (2007年3月14日). 2008年6月17日閲覧。 ^ “San Francisco History: The 1970s and 1980s: Gay Rights”. Destinations: San Francisco. Frommers.com. 2008年6月17日閲覧。 ^ アングル:AIブームで街再生、衰退するサンフランシスコの誤算 | ロイター ^ サンフランシスコが陥った負の“スパイラル” | NHK ^ Ted Egan (2006年4月3日). “City and County of San Francisco: An Overview of San Francisco’s Recent Economic Performance” (PDF). Report prepared for Mayor’s Office of Economic and Workforce Development. ICF Consulting. 2008年6月19日閲覧。 ^ “自動運転タクシーを群衆が破壊 米で相次ぐ事故、不満募らせ反発か”. 毎日新聞 (2024年2月13日). 2024年2月13日閲覧。


引用エラー: 「注」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="注"/> タグが見つかりません

コメントを追加

CAPTCHA
セキュリティー
781235469このシーケンスをクリックまたはタップします: 2139
この質問はあなたが人間の訪問者であるかどうかをテストし、自動化されたスパム送信を防ぐためのものです。

Google street view

どこの近くで寝れますか サンフランシスコ ?

Booking.com
491.169 総訪問数, 9.211 興味がある点, 405 保存先, 13 今日の訪問.