Santa Cruz, California

( サンタクルーズ (カリフォルニア州) )

サンタクルーズ(英: Santa Cruz発音: [ˈsæntə ˈkruːz])は、アメリカ合衆国カリフォルニア州中部サンタクルーズ郡最大の都市であり、同郡の郡庁所在地である。人口は6万2956人(2020年)。モントレー湾の北端にあり、サンフランシスコから南に115 kmにある。

オローニ族と先コロンブス期

18世紀にヨーロッパ人がこの地に到着する以前、オローニ族インディアンが住んでいた。

伝道とプエブロの時代

1769年、スペイン人探検家ガスパル・デ・ポルトラがモントレー湾に行こうとしている時に偶然サンタクルーズの近くに到着した[1]。ポルトラは聖ローレンスに因んでそこの川をサンロレンソ川と名づけ、川の上の起伏のある丘陵は「サンタクルス」(聖なる十字架)と呼んだ[2]。1791年、フェルミン・ラスエン神父がシャトゥ・ムのアワスワや周辺のオローニ族集落の改宗のために、「ラ・ミッション・デ・ラ・エハルタシオン・デ・ラ・サンタクルス(サンタクルーズ伝道所)の設立を宣言した[3]。サンタクルーズ伝道所はカリフォルニアに設立された12番目の伝道所だった。

いっぽう、現在の市の東部は世俗的な集落として異なる歴史をたどった。1789年のヌートカ事件(en、今のカナダのバンクーバー島でイギリス船をスペインが拿捕した事件)の後、スペインはイギリスの脅威に備える必要を認識した。1796年4月、ヌエバ・エスパーニャ副王ブランシフォルテ侯爵ミゲル・デ・ラ・グルア・タラマンカ・イ・ブランシフォルテの命令により、アルタ・カリフォルニアにおけるスペインの領有権を保全するため、現在のサンタクルーズ市東部に、副王に因んでビジャ・デ・ブランシフォルテと呼ぶ集落を造った。ブランシフォルテは、ロサンゼルスおよびサンノゼと並び、3つしかないカリフォルニアの世俗的な町のひとつだった[4]。後、1905年にブランシフォルテは川向こうのサンタクルーズ市に併合された。

1820年代、独立したばかりのメキシコがこの地域の支配を始めた[5]。1833年から翌年にかけて、伝道所は世俗化された[4]。

その後の20年間、アメリカ合衆国からの移民が多数到着するようになった。1848年、米墨戦争の終戦に続くグアダルーペ・イダルゴ条約により、メキシコはアルタ・カリフォルニアをアメリカ合衆国に割譲した。1850年、この割譲地の中からカリフォルニアは最初の州になった。

社会的活動

サンタクルーズはリベラルで革新的な行動主義中心として[6]、医療行為にマリファナの使用を認める最初期の都市となった。1992年、市民はこれを認めるメジャーAを圧倒的に承認した[7]。また、医療マリファナのためのWo/Men's同盟の設立者、バレリー・コーラルとマイク・コーラルを麻薬取締局が逮捕したとき、州の医療マリファナ法を法廷で評価させることを申請したカリフォルニア州の都市群に入ってもいた[8]。この裁判はマリファナ栽培者に有利に裁定された。2005年、市の市政委員会は住民が医療マリファナを手に入れることを支援する市政府部門を設立した[9]。2006年の住民投票でメジャーKが成立し、マリファナに関する法の執行を「最下位優先事項」とした。

市内には活動的な退役兵社会がある[10]。統一退役兵評議会が政府による救済策の代替手段として、退役兵の社会復帰を進める地域に根ざしたプログラムを後援している。海外戦争の退役兵のビル・モットー第5888支部はサンタクルーズや国内の反戦・平和活動を後押ししている。退役兵記念ビルではサンタクルーズや世界中のパンク、レゲエ、ヒップホップの公演が行われている。ここはビル・モットーが後援する感謝祭やクリスマスのディナーの会場にもなる。これらディナーは第5888支部が1970年代後半に開始した。2006年の感謝祭ディナーには1,400人が集まった[11]。

非暴力のための資源センターは1976年に設立され、サンタクルーズ郡で政治的かつ社会的活動を行う非営利組織としては最古かつ中心となる組織の一つである[12]。この組織は「非暴力による社会変革という原則を普及し、人間生活の質と人の尊厳を高めることに務める」ことに貢献している[13]。1998年、サンタクルーズ市は非核地帯を宣言した[14]。2003年にはサンタクルーズ市政委員会がイラク戦争を非難することではアメリカ合衆国で最初の市政委員会となった[15]。またアメリカ合衆国パトリオット法に反対する宣言を発した[16]。

著名なフェミニズム活動家ニッキ・クラフトとアン・サイモントンがサンタクルーズ市に住んでおり、「プレイング・マンティス(カマキリ)旅団」を結成した。この集団は1980年代に「ミス(myth)カリフォルニア・ページェント」を組織化し、女性の見せ物化と美の称賛神話に反対している[17][18]。ミス(myth)カリフォルニアの行事は、1920年代以来サンタクルーズ市で行われてきた「ミス・カリフォルニア」のコンテストと同時に開催されている。その抗議は食肉を纏った女性がコンテスト入口周辺に強姦された女性の血を注ぐこと等であり、9年間続けて行われた結果、コンテストはサンタクルーズ市で開催されなくなった[19]。サイモントンは非営利集団「メディア・マッチ」を設立して運営し、女性や少数民族のメディアにおけるイメージを監視し批判している[20][21][22]。1983年から毎年、「Take Back the Night(あの夜を取り戻せ)」の蝋燭通夜、集会、行進を開催しており、女性に対する暴力に焦点を当てて抗議している[23]。

市内にはサンタクルーズ独立メディアセンターなど多くの自前メディアプロジェクトによって表されるように、活発な独立系メディアの社会がある。海賊FMラジオ局フリー・レイディオ・サンタクルーズは10年以上活動しており、市民の様々な層から活発な参加を得ている。「インセンディオ」は英語とスペイン語を話す世界中のアナーキストと、ラテンアメリカで起こっている無政府、先住民文化、生態および社会的闘争とを繋いでいる2か国語雑誌である。また活動的な独立系情報発信源もある。

^ San Diego Historical Society - Gaspar de Portola ^ Santa Cruz City - History of Santa Cruz ^ California Missions Online - Mission Santa Cruz ^ a b Historical Snapshot, Villa de Branciforte Preservation Society, http://www.villadebranciforte.org/history.htm  ^ Richman, Irving Berdine (1911). California Under Spain and Mexico, 1535-1847: A Contribution Toward the History of the Pacific Coast of the United States, Based on Original Sources (chiefly Manuscript) in the Spanish and Mexican Archives and Other Repositories. Houghton Mifflin  ^ Hadley Robinson; Jim Seaman (2005). Uc Santa Cruz College Prowler Off The Record. College Prowler, Inc. pp. 17. ISBN 9781596581470  ^ “Santa Cruz County Measure A Marijuana For Medical Use Initiative”. 2008年12月18日閲覧。 ^ “Federal Suit Charges DEA's Raids Of California Medi-Pot Patients Are Unconstitutional”. National Organization for the Reform of Marijuana Laws. 2007年1月7日閲覧。 ^ “Nation's First Government Office to Provide Medical Marijuana Directly to Patients Established by Santa Cruz, CA City Council”. American Civil Liberties Union. 2008年10月3日閲覧。 ^ “Letter to the Santa Cruz City Council”. Veterans for Peace. 2008年10月26日閲覧。 ^ “Thousands converge on Santa Cruz Veterans Hall for meals”. 2007年1月7日閲覧。 ^ James Tracy (2005). The Military Draft Handbook. Manic D Press. pp. 118. ISBN 9781933149011  ^ “History and Mission of the Resource Center for Nonviolence”. rcnv.org. 2007年1月7日閲覧。 ^ COUNCIL POLICY 11.4: DECLARING THE CITY OF SANTA CRUZ A NUCLEAR FREE ZONE ^ Support House Concurrent Resolution 35 – Withdrawal of U. S. Armed Force from Iraq ^ “ACLU press release announcing that the City of Santa Cruz passed a resolution opposing the USA PATRIOT Act”. American Civil Liberties Union. 2006年6月8日閲覧。 ^ Bacon, Amity (2005年5月22日). “Miss California Pageant united the community and served as a platform for protest”. Santa Cruz Sentinel. http://www.santacruzsentinel.com/archive/2005/May/22/local/stories/03local.htm 2007年5月18日閲覧。  ^ Clarke, De. “MYTH CALIFORNIA: But Is It Art Or Is It Politics?”. www.nostatusquo.com. 2008年6月23日閲覧。 ^ Dunn, Geoffrey (1987年). “Miss... or Myth”. New York Times. http://movies2.nytimes.com/gst/movies/movie.html?v_id=176328 2008年6月23日閲覧。  ^ White, Dan (2003年9月7日). “Santa Cruz makes its mark on the world”. Santa Cruz Sentinel. http://www.santacruzsentinel.com/archive/2003/September/07/local/stories/01local.htm 2007年5月18日閲覧。  ^ Stoll, Michael (2004年1月21日). “Getting results with low-budget media activism”. gradethenews.org. http://www.gradethenews.org/pages2/simonton.htm 2007年5月18日閲覧。  ^ Manheim, Camryn. “Myth America”. www.gradethenews.org. 2007年5月18日閲覧。 ^ Sonnenfeld, Josh (2006年5月27日). “Take Back the Night 2006”. Indybay. 2008年6月23日閲覧。
写真提供者:
No machine-readable author provided. Matt314 assumed (based on copyright claims). - CC BY 2.5
Mfv2 - CC BY-SA 4.0
Statistics: Position
7513
Statistics: Rank
7147

コメントを追加

CAPTCHA
セキュリティー
931845762このシーケンスをクリックまたはタップします: 6858
この質問はあなたが人間の訪問者であるかどうかをテストし、自動化されたスパム送信を防ぐためのものです。

Google street view

どこの近くで寝れますか サンタクルーズ (カリフォルニア州) ?

Booking.com
491.001 総訪問数, 9.210 興味がある点, 405 保存先, 42 今日の訪問.