Stećak ( ステチュツィ )

ステチュツィ Stećci [stetɕtsi] (単数: Stećak [stetɕak])はボスニア・ヘルツェゴビナや中世にボスニア王国の領域であったクロアチア(ダルマチア)、モンテネグロ、セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近に散在する巨大な中世の墓碑である。現代のボスニア・ヘルツェゴビナ国内ではおよそ6万が、クロアチアやセルビア、モンテネグロでは1万のステチュツィが発見されている。ステチュツィが現れ始めたのは11世紀のことで、これらがピークを迎えたのはオスマン帝国の支配により消える以前の14世紀や15世紀のことであった。ステチュツィの墓碑は中世のボスニア王国や当時異端とされていたボスニア教会に属していた。ステチュツィの墓碑のエピタフ(墓碑銘)にはボスニアキリル文字(ボサンチィツァ"Bosančica" [bosaŋtʃitsa])が記され、文字はボスニア教会のコミュニティで広く使われていた。ステチュツィの最大のコレクションはヘルツェゴビナの町ストラツ近くのラディムリャにある。

ステチュツィは2016年にユネスコの世界遺産リストに正式登録された(ID1504)。